ちょっとね

 教育論を語って気持ちよくなる前に年収と職業と学歴を開示すべき。年収300万のスーパーの店員(高卒)が息子三人をハーバード大学合格に導いたとか、そのレベルでなければ何もかも「金と遺伝」で片付けられる話だから。

 女はイージーモード?これを口に出していいのはブス女だけ。男が女をイージーにしてるんだろ。性欲由来の庇護の対象になれないブス女だけがこれに関しては声高に叫べる。

「野球」を見せてくれ

 大谷翔平はすごいよ。でもね、高橋がチェンジアップで三振を奪ったときのベンチでの彼の反応なんかいらないし、近藤の打席なのに大谷CAMなんて画面の左上に出さなくていいし、ずっと大谷ばかり撮すのはやめてほしい。WBCはメンバー発表まではすごく楽しみだったのに、今は冷めている。早くシーズン開幕しないかな。岡林は大丈夫かな。侍ジャパンよりもキューバ代表の方が興味あるよ。

嬉しいこと

 一念発起して部屋の掃除をした。タンスの上に出しっ放しにしていた服を畳み、本は本棚にしまい、引っ越しからずっと放置していた段ボールの中身を片付け、部屋が広くなった。掃除してから2週間は経ったはずだが、未だに床の上に余計なものはない。掃除機も毎日ではないが、気がついたらかけるようにしている。今までの私からは考えられないことだ。元々部屋を汚くしてしまう性質の人間だったが、お母さんの強制的介入なしに、自分の力で掃除できたのが誇らしい。世間の人にとっては部屋が散らかっていたら片付けようと思うのが普通なのかもしれないが、私はそうではなかった。少しずつでも普通に近づけていることが嬉しい。思えば、アルバイトをする気になったのも、突発的なやる気の沸き上がりによるものだった。私のような人間は一瞬のやる気の脈動を逃してはいけない。

 さて、その掃除中に、音信不通になった文通相手の手紙を思いきって捨てたのだが、先日彼からメールが届いた。タイミングの悪さに笑ってしまうが、捨てずに机の引き出しにしまったままにしていたら今も音信不通のままだったような気がする。

 

 最近、英単語の暗記に取り組んでいる。大学受験や資格試験のために一生懸命英語を勉強した人も多いと思うが、私はみんなが頑張っている時に怠けていたので、今になって英単語を覚える羽目になっている。と言っても、義務的にやっているわけではなく、自発的にだ。記憶力があった10代の頃にしっかり勉強しておくべきだったが、それが分かっていても中々やる気になれないから、部屋が汚かったのだ。私は辞書を引くことが苦ではないので、読書中に何十回も調べてしまい、全くページが進まないということがよくある。だから辞書を引く回数を減らしてもっと多くの本を読めるようになりたいと思ったのだ。日本語さえも怪しくて国語辞典を手放せない人間が、英語をスラスラ読めるのかという疑問はあるが。しかしながら、英単語の暗記はやはり効果があるようで、ニュースや小説を読むときに辞書に頼る頻度が減ったし、ニュースのポッドキャストを流し聴きしていても内容が頭に入ってくるようになった(以前は「よし!今から英語を聴くぞ!」という戦闘態勢に入らなければほとんど聞き取れなかった)。成長が実感できると、退屈な暗記も頑張ろうと思える。最終的には40000語レベルに達したい。NTTの日本語語彙テストみたいなもので私の結果が82000語くらいだったので、それを目安にしてみた。

 

 努力すれば大抵のことはどうにかなるのかもなと思うようになってきた。これまでの人生でがんばったことなんかないし、精神科通いをするようになってからは発達障害精神疾患のせいにして怠けていたので、今は人生を取り戻している最中だ。人生は自分でコントロールできるのだという自信が漲ってきた。本当に元気になったのか、ビョーキの一環なのか分からないけれど、少なくとも引きこもりだった時よりも今の自分の方が私は好きだ。 

雑記

 雇用契約書を店で管理されている。「みんな失くすから」と店長は言うが、そのために店舗保管用と本人控えを1枚ずつ用意したのではないか。契約書自体ろくに読まずにサインさせられたので、少し不信感がある。でもそれ以外は本当に優しくしてもらっている。本当に優しいだけなのか、とんでもない極悪人なのか、私にはそれを見抜くだけの力はない。仕事はいつも失敗ばかりだ。それでも自分がこうして社会に一歩踏み出せたことを、自信にしたい。

 

 夜の盛岡駅前を歩いていたら泣きそうになった。人波が怖かった。地方都市というのがビョーキの人間には一番危険だ。これくらい何てことないはずなのに、どうして上手く歩けないのだろうと思った。

 

 最近、言葉が出てこない。漢字も書けなくなった。言い間違いも増えた。この前「押入れ」が出てこなくて「引き出しでもなくて箪笥でもなくて……ドラえもんが寝てるところ!」で押し切った。「真似」と言いたいのに「前髪」と言っていた。数年間他人との交流を断っていたから?先日は、下りの階段前で今自分が何をしていて、どこを目指しているのか分からなくなって立ち止まってしまった。幸い周囲に人がいなかったからよかったが、いつか雑踏事故を引き起こすかもしれない。

 

 雪が降ると嬉しい。冬はすぐ暗くなるし、寒いし、一番嫌いな季節だったが、大人になってから本当は冬を愛していたことを知った。雪が降ると夜がとても明るくなる。吐く息が白くなるのも、鼻がツーンとなるのも、髪の毛が凍りつくのも、大切だ。子供の頃一人で雪だるまを作ったり、お母さんとかまくらを作ったり、雪かきをしていたお母さんが歩いて迎えに来てくれたこと、姉がバス停で素手の私に手袋を貸してくれたことなどを思い出す。雪のない冬は冬とは思えないから、きっと私はどんなにお金持ちになっても雪の降る街に住んでしまうのだろう。

 

 最近、石鹸にハマってしまった。自分で手作りしたり、高級品を買い集めるわけではなく、ドラッグストア等で安価で買えるものを色々買って試すのが好きだ。もともと体と顔は石鹸で洗っていたが、石鹸のストックが増えてきたので頭髪も石鹸で洗い始めた。最近ハマり始めたばかりなのに、匂いのする石鹸に飽きてきて、やっぱりシャボン玉石けんが一番だなとうっすら気づいてきた。でも、台湾の石鹸は一度使ってみたい。高いけれど。

 

 映像の世紀バタフライエフェクトのナチハンターの回を見た。歴史を勉強しなければと思いながらもう何年経っただろう。それはともかく、3人のナチハンターの執念と勇気に思わず涙が溢れてしまった。ドイツにも戦後の元ナチ党員の追及を快く思わない人や、ユダヤ人の経験してきたことを嘘だと叫ぶ人がいると知って衝撃だった。それでも、現在のドイツは政府と国民があの大量殺戮への責任を負っている。日本は敗戦からきちんとけじめをつけることなく、今日まで存続している。ドイツ人がヒトラーヒムラーアイヒマンの子孫であるのと同様に、日本人は天皇の子孫だ。戦中の他国への加害行為を反省することなく、事実上の戦犯を象徴として崇めているイカれた国、それが日本?

 

 ミシェル・ウエルベックの『セロトニン』を読んだ。50Centはうつを贅沢病だと言う。専門家に言わせればそれは間違いなのだろうし、私も違うと言いたいが、ウエルベック作品の主人公は確かに「贅沢」だ。

 

 ランボルギーニ ムルシエラゴ ロードスター お金が余って仕方がないようなら欲しいね

 

 

Twitter覗いてみたらキモかった

 エアコンの効いた部屋から廊下に出たときみたいな気持ち悪さ。まとわりつく熱く湿った空気のような「キモ」がそこにある。俺もキモいが日本がキモいんだから当たり前だ。俺が被害者意識を拗らせているのも日本国民だからだ。
 そもそも天皇の存在がよくない。あいつが全ての不平等不公平の根源だ。

メル友がほしい

 スマホを新しくした。スマホ本体のバッテリーの劣化をこの1ヶ月で頓に感じるようになったことが決め手となったけれど、いつの間にか世の中がAndroid7に対応してくれなくなったのも大きい。その点、iPhoneは常に最新のOSを使えるからうらやましい。でもiPhoneのいいと思えるところはそれだけ。慣れの問題なのかもしれないが、iPhoneはとにかく使いにくい!戻るボタンがないのが不便すぎるし、シンプルで直感的に操作できると言うが、全否定したくなるくらいゴテゴテしている。しかしながら、この新しく買ったスマホも使いにくい。恐らくGoogleのせいだろうが、デフォルトでジェスチャーナビゲーションとかいうクソ設定にしないでほしい(;_;)今顔文字出して思ったけれどAndroid10にしたら絵文字がかわいくなくなってる~(;_;)ドロイドくんからスライムくんに変わったときも抵抗があったけれど、どちらもかわいいから許せた。黄色い丸の絵文字かわいくない!慣れるまでしばらくかかりそう。
 新しいキーボードに悪戦苦闘しながら入力していたら、「メル友がほしい」という気持ちが沸き上がってきた。メル友ができれば、この好きになれないスマホを使うのもきっと楽しくなる。そう思ってメル友の作り方を調べたら、マッチングアプリTwitter掲示板等が出てきた。マッチングアプリは論外。恋人はいらないし、出会いたくもない。Twitterは……なんか、フォロワーの増やし方とか分からないし、相互フォローから親しくなり、そこからさらにメールに発展というプロセスを踏める気がしない。掲示板も出会い厨の巣窟だった。こうやって文句ばかり垂れているから友達がいないのかも。ちょっと淋しくなったからってね、その淋しさの解消のために他人を利用するのは絶対ダメ。今私が孤独なのは私の過去の振る舞いが原因なのだから、噛み締めなければならない。1ヶ月間毎日淋しさを覚えるようであれば、その時また考えるけれど、これは一時の感情だからね。
 
 追記
 なんかカレーがおいしく煮えたら淋しさ消えた。お腹空いてる時の心細さと混同していただけみたい。

返して

 母がとにかく今日からこれを使えと6000円もするノンシリコンシャンプー(洗い上がりは枯草みたいなニオイがする)を持ってきてから何ヵ月が経っただろう。シャンプーの説明書には「まずは3ヶ月使ってみてください」と書いてあった。もう3ヶ月は過ぎたはずだ。「トリートメント要らずで、白髪も生えてこなくなる」とは素晴らしい。しかし私にはその効果が感じられない。それどころか髪は日に日にツヤを失い、黒から茶色に変わり、ギシギシになっていく。今まで伝説の存在だった枝毛を発見して一瞬呼吸が止まった。200円のシャンプーを使っていた頃でさえ、髪のトラブルとは無縁だったのに。
 「サラサラだね」とか「真っ直ぐでいいな」とか、髪については他人からも認めてもらえて嬉しかった。ヘアケアに時間とお金を費やす女性たちを「あらあら、大変ですわね……」と優越感を持って傍観していた。でも今なら分かる。髪は(女の)命なのだ。髪が美しくないと生きていられない。朝起きて髪を梳かすだけで絶望する毎日が自分に訪れるなんて、全く想像できなかった。
 母に軽い感じでシャンプーが合わないことを伝えても流されるだけだったので、真剣に訴えたらぴしゃりとはねつけられた。目の前が真っ暗になるとはこういうことかと実感した。それでも諦められないので、髪だけは私の誇りだったことを泣きそうになりながら伝えた。こういう時、涙を見せれば嘘みたいになる気がして、一生懸命堪えた。しかしながら母に私の本気が伝わった手応えはない。シャンプーさえも自分で選べない成人済女。
 数日前に母が新しいシャンプーを持ってきた。「シリコン入りだけれど、昔から有名なやつだから」と言っていた。母はノンシリコンシャンプーでなければダメだと、私がかつて使っていたシャンプーに文句をつけてきたのに……。それでも、今度はトリートメントも一緒に渡されたし、あの枯草シャンプーよりはマシだろうと期待して使ったが、ますます悲しくなるだけだった。確かにトリートメントのおかげで髪は少しサラサラになった気がするが、毛先はパサパサのままだ。髪を触ると表面にトリートメントの油っぽさが浮いていて、底と言うべきか、芯のような部分はギシギシする。まるでダイソーで売っているポニーテールのつけ毛にトリートメントを塗ったような、ひどい触り心地。そういえば母の髪もこのようであった。母の髪も若い頃はこんなにひどくはなかったが。
 児童館の頃お母さんに髪を結ってもらうとき、「ツルツル滑る髪」と言われた。小4の頃教室でシラミ検査をするとき、菅原先生に「サラサラで気持ちいい髪」と言われた。李奈ちゃんや瑞希ちゃんが私の髪を羨ましいと言ってくれた。今までの彼氏も髪は褒めてくれた。小学生の頃は髪を指にくるくる巻き付けるのが癖だった。今年の春までは暇なときに無意識に指で髪を梳いていた。全部、全部もう過去のこと。私の髪は二度と元には戻らないだろう。