音楽って楽しい

 ドラマのだめカンタービレの再放送を見て以来、クラシックを聴く機会が増えた。ひろゆきくんと一緒にいた頃は、交響曲なんて第四楽章だけでいいじゃんと思っていたけれど、今はそうじゃないって分かる。本当にあの頃は馬鹿だったな。私も少しは大人になったからなのか、芸術が与えてくれる感動に救われることが増えた気がする。ひろゆきくんが教えてくれたことは、あの頃は面倒臭いだけだったけれど、今になってようやくありがたみが分かってきた(後になって大切さに気づくことって本当に多い……)。ひろゆきくんの好みに影響されて交響曲ばかり聴いているが、協奏曲や室内楽曲、オペラなんかもいい。

 今日久しぶりにピアノを弾いた。指や手首がすぐに疲れてしまったけれど、とても楽しかった。また明日も弾きたい。スティービー・ワンダーのように体を揺らしたり頭を振りながら弾くと最高。別に私はコンクールに出るわけでもないので、好きなように弾く。ピアノの独学は難しいと言われるけれど、誰に聞かせるわけでもなく完全に自己満足の世界だからいいのさ。しかしピアノを弾ける人はすごい。左右の手をバラバラに動かすし、薬指や小指も自在に操れるのだから。明日が待ち遠しい。早くピアノを触りたい。

なんかさ、

 がんばって病気治して少しずつ人生ってのを取り戻しているつもりだったけれど、もう無理だな。何もかも無駄。なんでまだ生きてんだろ。でもまだがんばろうって気持ちが残っている。そんな自分に驚く。

 今月で25歳になるらしい。あっという間だ。この歳までには結婚しておきたかったね。現実の私は友達も恋人もいない障害者。結婚は別にいいんだ。自分が誰かと生活を共にして、母親になるってのは想像もできない。でも、こんなにも孤独を極めているのはつらいよ。意味のない人生、いつまで続けるのかな!?

死にたい?

 かれこれ2年かそれ以上精神科に行っていないが何ともないし、もう私は大丈夫なんだと思う。でもメンヘラだった時は「死にたい」なんて基本的に言わなかったのに、今は毎日ちょっとしたことですぐ「死にてー」と思ったり口にしてしまう。死のカジュアル化だ。

 お金をもりもり稼いで美容整形をして自信が持てるようになりたいと思っている。そうしたら私も恋愛ができるかなあ。死にたいな。こんな身体じゃ誰にも愛してもら

えない。

辞書

 私は国語辞典は専ら電子辞書に収録されている大辞泉を使っているのだが、せっかく紙の辞典を持っているのに使わないのはもったいないと思って机に旺文社国語辞典を置き始めた。なぜ今まで使っていなかったのかと言うと、高校の現代文の授業中に先生が辞書で調べるように指示した言葉が載っていないということが何度か続いたからだ。学校の指定辞書は新明解だったと思うが、私は姉のお下がりをそのまま使っていた。辞書なんてどれも大差ないと思っていたが、学校の指定には意味があったのだと分かった。そういうわけで、私の旺文社国語辞典は外箱以外は新品同様なのだ。すっかり私のなかで信頼を失っていた旺国だが、意外にも日常での調べものに困ることはなかったので油断していた。先日、いつも通り何気なく辞書を引いたら、なんと「砂州」が載っていなかったのだ。電子辞書内の大辞泉、新明解、明鏡には載っている。砂州ってそんなにマイナーなワードかしら。

 しかし、紙の辞書はいいオモチャだ。調べものをする時の寄り道が一番楽しい。この前は、「尊重」を引く→「孫文」を見つける→解説中の「辛亥革命」も掲載されているのかな?→なかったけれど「シンカー」を見つける→他の球種も辞書にあるのかな?→「カーブ」の説明に疑問が生じてYouTubeでカーブの動画を漁る……ということをした。なんて幸せな時間なのだろう!毎日こうして時間を浪費できたらいいのに。

 私が人生で一番使っている辞書はG4だ。現在はG6まで出ているらしいが、買い換える気は今のところない。これも姉のお下がりで、自分で選んだわけではないがかなり気に入っている。もう15年以上前の辞書だが、不便を感じたことがほとんどない。学術的な言葉はそれ専門の辞典を使えばいいだけなので収録語に不満はない。あるとすれば米語優先な点だが、それは他社の英和も同じだろう。先日、何気なくG4を開いたらすごくいい単語(voyeur)を見つけたので、嬉しくなって蛍光ペンを引いてしまった。こういう印をつけたのがリセットされるのが嫌で辞書を買い換えられなかったりする。

 それから私が今はまっているのが子供向けの英語の辞書だ。35000程の収録語数だが、知らない言葉がたくさんある。写真が豊富で見ていて楽しい。例えばabortは載っていないがheiferは載っている。それも写真付きで。ネイティブの幼児になったつもりで、毎日新しい言葉に出会っている。