genuine

 午後に優雅にピアノを弾いていたら(うそ、本当はとっくに飽きて、手も疲れていた)父親から電話がかかってきた。「もしもし」と何回か言っても、父の声は聞こえない。聞こえるのは「ハアハア」という人間の息づかいだけ。しばらくすると息づかいは消え、「ジュイーーーーーン」という機械音が響く。これは、父からのSOSなのだ!彼は今、危機に瀕している!たとえば、殺人鬼に捕まり、生きたまま解体されようとしている……。この「ジュイーーーーーン」はチェーンソーで、父の同僚がやられている音かもしれない。怖くて、どうしていいか、分からなかった。通話開始から25分ほど経過しただろうか、機械音が止んだ。思いきって父からの電話を繋いだまま、彼の仕事用のケータイにかけてみた。すぐに出た。父は私がなぜ電話をかけてきたのか不思議そうだった。「今、仕事用のケータイしか持ち歩いてないんだよ」。車にプライベート用のケータイを置くときに、うっかり画面が反応して、たまたま私に電話がかかっちゃったということなのだろう。ああ、びっくりした。一安心。
 拍子抜けして、ぼんやりと座り込んでいたが、次第に不安になってきた。父にやはり何かあったのではないか。私が愚かにも仕事用のケータイに電話をかけたから、殺人鬼に勘づかれて、父は喉元にナイフを突き付けられ、脅され、私に何でもないようなふりをしたのでは?父はもう殺された。父の脳みそをすすった悪魔が父に成りすまして家のドアを開ける。今晩中に母も悪魔の手にかけられる。何もかも偽物の世界が広がる。私だけが、いっそのこと私も偽物であればいいのに、という思いを抱いたまま、どうしようもない本物として生きていく。